なんとなく好んでいる、気に入っている
またはなんか嫌、なんか気に入っていない
てあると思うのですが、これを自分がどうしたいのかを疎かにしてきた自分にとってはおおよその方向を示すものと考えて扱っています。
そう考えるようになる前までは、何か嫌だな
と思っていてもそれは気にしないようにかき消していました。これは問題だったのだと思います。おそらくはそのおかげで感情が乏しくなりました。
こういう事にも ずいぶん後になって良くなかったと気がつきました。
感情の向きの手がかりが少ないので、少しでも正負何方に対しても動きがあった時には気にするようになったって話ですが
人の負の感情を勝手に受け取ってしまいまた訳が分からなくなったりします。
これが楽しいとか嬉しいようなモノばかりだったら、感情は増幅して楽しい人になるのかもしれないなーと思います。
⭐︎今日調べた事⭐︎
祈りの中の願いは神の計画に有効な場合だけ叶えられる
敵を愛せよというのは人間関係に対する方便で
全ての敵を指すモノではない
聖書のお話
(メモ)